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あんなぷるな道中膝栗毛

31.富士モモレストラン
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  さて我々は、ボミラーズ氏に聞いていた、日本食の店
“富士モモレストラン”を訪ねたのだが、何度行っても休み
だった。
アニールモモレストランでその話をしていると、一人の
日本人ツーリストが、少し前に引越した事を教えてくれた。

 早速訪ねてみると、以前の店の斜め向かいで営業している。
まだ移って日が浅く、看板等も出来ていないので、全く分から
なかったのだ。
早速訪ねて、彼の名前を言うと、とても驚いている。
我々が、ジョムソムのボミラーズ氏の紹介で来た事を告げると、
納得していた。

 ここの経営者のカルマ氏は、ムスタン王国出身だと言う。

 彼はネパール人と言うよりも、何か日本人の様で、ムスタン王国は、
貧乏旅行者にはとても遠い国なのだが、日本人の私には、
とても近いモノを感じた。
又何よりも、彼の目はとても澄んでいた。
そしてとても輝いているのである。
これは別に誇張している訳でも無く、こういう目をした儘大人に
なれるこの国に、何かとても感動してしまうのである。

 しかしカルマ氏が、ムスタンから出て来て、ポカラと言う都会で、
日本食レストランを営む事は、とても難しい事だと思う。
彼は、アニールモモのドルガ氏の様に、日本へは一度も、
行った事が無いのだ。
それでも彼は、カタコトの日本語を話せて、カタカナ、ヒラガナは、
読む事も出来るのである。
この向上心と頑張りが、このレストランを支えて来たのだと思う。

 しかし、可愛い子供と奥さんを抱えて、引越したばかりの店の
経営は、大変な筈である。
余計なお世話ではあるが、そんな事を思い乍ら、三色丼等食べて
いたのである。
彼も我々が訪ねた事を喜んでくれて、ムスタンロキシ
(これが又美味しい!)等、出してくれるので、ここも又足繁く
通う事になったのだ。

 毎日行くと余計な事迄、見えて来る。
引越して数日と言う事もあり、店がとても殺風景なのだ。
日本のカレンダーから切り取ったと言う、富士の写真が一枚、
額に入れて飾ってあるのだが、
後はビールのCMポスターが、貼ってあるだけである。
私も山本もムスタンロキシで、大分気持ち良くなっている為、

 「つまみはもっと増した方がいい!」
 「小上りもあった方がいいな!」

等と好き勝手な事を、言っているのである。
素直なカルマ氏は、相槌ちを打ち乍ら静かに聞いている。

 そのうち、大分メートルを上げている山本が、

 「いやいやこの先生が、そのうちきっといい絵を、プレゼントして
  くれる!」

等と話をしている。
余談であるがこの男(山本)、酔って私の事を先生と呼ぶ時
があるのだが、こうなった時は必ず、途中からオマエになり、
最後にはコイツと変って行くのである。
こうなった時は、私も手が付けられないので、

 「急用を思い出したので、先に失礼する!」

と言って、早々に退散する事にしている。
ネパールに来て、急用等ある筈も無いのだが、泥酔している山本は、
全く気付かないのだ。
彼にだけ、何度でも通用する避難方法なのである。

 話しを元に戻すが、私も酔いに任せて、

 「いいよ!何ならこの壁に絵を書いてしまおうか!」

等と冗談を言っている。
そんな話を真剣に聞いている、カルマ氏の目に嘘がつけなかった
のか、山本氏も

 「費用は全部俺が持つ、絵を描いてみないか?」

と真剣な顔つきで言っている。

 「一丁やるか!」

と私

 そんな訳で本当に、壁画を書く事になってしまった。
トレッキングも終わり、時間を持て余していたので、私には
嬉しい時間だった。
早速壁画の草案を書いて見る、山本氏に見せると、彼も納得している。
カルマにも本当に絵を描く事を告げると、喜んでいる。

 翌日からいよいよ準備に取り掛かった。
先ずは、カルマに案内して貰い、三人でポカラ中の塗装店を回った。
山本は塗装の職人であり、その道の専門家なので良く見て貰うが、
ネパールには、あまり良い塗料は、無いらしい。
タクシーをチャーターして、オールドバザールの塗料店を片っ端から
回って行く。

 山本氏の話だと、油性の塗料(ペンキ)だとシンナーの匂いが
きついので、営業中のレストランには向かないとの事。
そんな訳で水性の塗料を探していたのだが、ネパールの水性塗料は、
シンナーに負けない強烈な匂いを発する。
値段だけ、ベラボーに高いので、今回は油性塗料で、我慢してもらう。

 何とか午前中で色が揃い店に戻った。

近所のネパール人の絵描きに聞くと、直接塗料を壁に塗っては
いけないと言う。
ネパールの塗料では、直接塗ると下の色が出て来てしまうらしい。
午後はその下地剤を探し求め、塗るので精一杯だった。
それでも何とか、事は始まったのである。

 翌日からは、いよいよ背景に取り掛かった。
後ろを振り返ると店の前は、暇なネパール人で、人だかりが出来て
いる。
変な日本人が、壁に何か描いていると、思ったのだろう。
ボミラーズ氏の姪の奥さんも、私が絵を描き出すと、信用して
くれたのか、

 「ロキシ如何ですか」

と、それからは一息入れる度に、ムスタンロキシを持って
来てくれる様になった。

 営業に支障があるといけないので、道路側の席は営業し乍ら
描いた。
食事をし乍ら、絵が出来て行くのが、オモシロイのか、毎日来て
くれる客も増えた。
それから一週間、ムスタンロキシの力を借りて絵を描いた。
激しい下痢に(飲み過ぎかも)、悩まされ乍らも、何とか完成に
漕ぎ着けた。

ポカラにて

 当日夕刻何とか間に合い、完成披露パーティーとなった。

日本人の常連客も皆集まってくれて、皆に手伝って貰い、
テーブル等を表に並べ、店を空にした。
最後にカルマ夫妻に桜の花一輪ずつに“シベ”を入れて貰い、
私が落款に、サインを入れて完成となった。
その後、富士と夜桜を眺め乍ら、皆で立食パーティとなった。

 私は下痢が復調せず、カルマ氏が用意してくれた料理もあまり
 食べれず、一人早目に退散した。

 酒宴は夜遅く迄続いた様である。

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