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旅の空の下で

1.北の大地と大きな人々
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 その年の春、私の住んでいる信州を出発して青森迄、
18日間程山を訪ね歩いた。
スキーを担いでの山行でもあり、一山登ってはスキーで
滑り降りる事を繰り返していた。
 途中、十日町、酒田、秋田と古き友人を訪ね歩いたりしての
楽しき旅であった。

 秋田の友人に見送られて私は、青森の名峰岩木山を
目指す事にした。
日本海沿いに鯵ケ沢迄来ると、
岩木山の立派な山容を望む事が出来る。
 2003年のこの年の東北地方は、全体に雪が少なく、
岩木山も例外では無く、麓から望む限り残雪は殆ど消えていた。
スキーはとても出来る状態では無いので、この際、
行った事の無い竜飛岬迄、足を延ばして見る事にした。

 津軽のこの土地は、古代人に取って住み良い所だったのか、
縄文の遺跡や、ストーンサークルが、色々な所に点在していた。
 十三湖(トサミナト)では、春まだ寒い湖で淑母さんが、
腰迄水に浸かり、しじみ取りをしている。
ここはしじみの産地として有名な所でもある。

 竜飛岬には、夕刻到着した。
海から一気にせり上がるこの岬は、竜が飛び立つのに
十分な強風が、私を出迎えてくれた。
岬の駐車場脇には、五軒程のおみやげ屋さんが、
軒を連ねるが、時間が遅いせいか、既に四軒の店のシャッターは
降りており、最後迄、開いていた店も閉店の、準備をしている。
 私は片づけをしている姉さんに、
この辺で入れるお風呂を尋ねた。
すぐ下の“海峡”と言うホテルで入れてくれると教えてくれた。
もう店屋も無いのと、お礼のつもりで缶ビールを買った。
姉さんは、おつまみはいらないのかと、鍋を見せてくれる。
沢山の具が入ったおでんは、皆1本50円、つぶ貝が沢山ささった
串だけが、100円だと教えてくれる。
観光地なのに随分と良心的な値段である。
横には、沢山のイカの下足焼きが、積まれていた。

「これは?」

と尋ねると

「これはサービスだァ!」

と言う。
おでんを3本注文した。
すると姉さんは、例のイカ下足を一つ二つと乗せてくれる。
エッ!と思い

「もう50円取ってください!」

今思い出しても恥しいのだが、何ともセコイ会話を、
咄嗟に口にしていた。
しかし姉さんは、そんな言葉を意に介さず、

「何もだァ!ミンナにこうしてるんだァ!」

と言う。
その奥で片づけているのかおふくろさんと見られる淑母さんも
一緒に頷いている。
 私は恐縮し乍らも、お二人に礼を言って店を出た。
何しろ買った物よりサービスの方が多い位なのである。

 その後、教えられたホテルで、お湯を貰い宿を兼ねた車に戻り、
ビールと美味しい“つまみ”を頂いた。
足元に広がる津軽海峡の向こうに、北海道の灯りが、
ポツリポツリと灯りだした。


 翌朝は美しい朝焼けを、見る事が出来た。
別段する事も無いので、日の出と供に出発する事にした。
今日は、八甲田山迄足を延ばす予定である。
 途中、太宰治の生家“斜陽舘”を訪ね様かとも思ったが、
何しろ時間が早すぎるので、海沿いを回り、取りあえず、
青森を目指す事にする。

 私は以前、もう20年以上前の事であるが、
半年程、山を登り乍ら旅をした事がある。
とは言っても、そんなに山に登った訳でも無く、唯々極貧の旅で、
チリ紙交換と言う現在では殆ど見られない古紙回収と言う仕事を
し乍ら、その土地土地の問屋へ卸し、お金が少しでも貯まると、
山に登って下りてこない。
血気盛んな20代の若者は、そんな事を繰り返していたのである。
付き合わされた妻や子供は、本当に大変だったと思う。
 青森にはそんな旅の途中、
一ケ月程もキャンプしていた様に思う。
 そんな折、世話になったのが、青森の“駅前市場”である。
八戸や弘前等、市民市場は、鮮度の良い魚貝類が安く手に
入るので、旅の途中必ず寄る事にしていたのである。

 竜飛岬を出て、遠回りのつもりで海沿いを通って来たのだが、
それでも青森には、早く着いたようである。
 駅前市場はまだ準備の段階で、今から品物が、
店頭に並べられる所である。
仕方が無いので、ブラブラ歩いていると、一つの看板が
目に止まった。

「おいしい珈琲あります」

と書いてある。
 店先を覗くと、市場で働いているらしき淑母さんが、
二人長靴姿で珈琲を飲んでいる。
今回の旅ではインスタントコーヒーしか飲んでいないので、
入って見る事にした。
値段も220円だったと記憶する。

随分と安い!

 店内は黒い木造りで、気持ちの良いジャズが、流れている。
私も珈琲を注文する。
淑母さん達は珈琲を飲み終えて、仕事へ行った様だ。
珈琲が来たので、マスターに

「何時から営業ですか?」

と尋ねて見た。

「7時からです」

と、マスターが答える。
 ジャズを聞き乍ら、美味しい珈琲を頂いた。
音楽も久々で、贅沢な時間を過した気分である。
珈琲を飲み終え、レジで会計して貰っている時、壁の時計が
目に入った。

6時45分だった。

昨日の竜飛岬の姉さんと言い、この店のマスターと言い、
どうもこの寒さ厳しい北の大地は、心豊かな大きな人間を
育てる様である。
私は素晴らしき人達に感謝して、又一路八甲田へと出発した。

        2003年 春

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