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旅の空の下で
3.片貝(カタカイ)祭りの うぐいす嬢
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新潟県の小千谷市で行なわれる“片貝祭り”を、 見に行く機会に恵まれた。 私の友人で毎年この祭りを見に行っているグループがあり、 その年は欠員が出たらしく、突然誘われた。 片貝祭りは、江戸時代から続く祭りで、 決して花火大会ではない。 奉納花火であり、誕生や供養、現在では企業等も参加して、 楽しい解説等も添えられたりする。 この片貝地区にはその昔、徳川幕府の火薬庫があったと聞く、 ここは火薬職人の町なのだ。 その様な事が起因してか、江戸時代から続くこの祭りは、 盛大で尚且つムードのある、花火の祭りなのである。 その年の9月10日(毎年9月9、10日と決まっている) 毎年参加している“大月さん” 誘ってくれた“山ちゃん”こと山本さん、 それに私と息子の4人で、 一路新潟県の小千谷へと向かった。 昼頃小千谷近くの蕎麦屋さんに到着した。 ここが集合場所で、東京を初め全国から (遠くは四国からも来ている)年に一度集まるのだという。 このあたりの蕎麦は布海苔(フノリ)を、つなぎに使い 特徴的な蕎麦である。これは織り物の盛んな土地であり、 ノリヅケに沢山使う為普及したという。 大きなセイロ(このあたりでは“ヘギ”という)に入った “ヘギソバ”が有名で、皆で沢山頂いた。 (5人前程もあるので注文の際はご注意を) 食後は会場迄行き、予約してある桟敷席に行き 夜の準備(宴会)をし、信濃川沿いにある温泉宿へ行った。 この宿は毎年この時期満員になる為、 全て雑魚寝状態で泊まる。 子供の頃の修学旅行の様なのだ。 懐かしきこの宿もその後の洪水で流され現在では 無くなってしまったという。 夕刻まで寛いだ後、 頼んでおいた料理等を持って会場へ向かう。 人は大分増えているが、 我々は用意してある桟敷席へ行った。 この花火のメンバーは、毎年全国から集まる様だが、 花火も上げている。 早くから予約している為、大きな番付表に表記されている。 随分と粋な楽しみである。 その年の花火は、 彼らの友人であったインド人の追善供養だという。 江戸時代からあるという“銀山”という花火を 一尺玉(直径30cm)で五連発上げるという。 私は花火の事等何も知らなかったが、 昔からある“銀山”は、マグネシウム100%で、 一番明るい(白く輝く)花火だという。 そして危険度も一番高いそうだ。 番付を見乍ら自分達の番が来ると、皆が起立した。 私も立ち上がると、 「おめでとうございます!」 と、周りの人達から挨拶された。 その後、解説と供に真白く明るい花火が五連発で続いた。 尺玉からは胸に響く! 「ズドォーン」「ズドォーン」と、上がる花火は、 周りの挨拶や、美しい解説と供に、私の胸にも響いた。 その後、花火はどんどん盛大になり、 二尺玉や三尺玉、そして片貝中学の卒業生で上げられる “超特大スターマイン”でピークを迎える、 最後には世界で一番大きな“四尺玉”という花火で幕を閉じる。 「万里に轟く」と解説されるこの四尺玉は、 直径800mの輪に広がるという。 しかしこの花火の魅力の半分は、 花火の解説をする“うぐいす嬢”のおかげである。 少なくとも私はそう思っている。 故に、私だけでなく、このうぐいす嬢の為に、ファンの方が、 花火を上げたりもする。 江戸時代から続く花火ではあるが、 彼女の素晴らしき解説のおかげで、 この祭りは最高に盛り上がる。 兎に角ムード満点なのだ。 若い人でも涙乍らに見ている人も多いのである。 私自身も生まれて初めて、その花火と解説に酔いしれて、 ずーと泣き乍ら見てしまった。 その後、何度か訪れたが、 いつもこの花火に泣かされてしまうのである。 現在では、全国的に知られて来たのか、人の数がもの凄く、 なかなか行きづらい状況になっている。 因みに昼間町を練り歩く“山車”は、 明治時代に上げられたという、 三尺玉を打ち上げる大筒である。 1997年 秋 <目次に戻る> Top Page |
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